2015年4月24日金曜日

「冬のおわり」のつづきから。




新潟市北区にある、水の公園 福島潟で、5月末から8月頭まで、福島潟のいきものをテーマにした展示をさせていただくことになりました。


福島潟は思い入れのある場所だったので、今回、展示をさせていただけるお話をいただいたとき、うれしいのと同時にびっくりしました。
(別の機会に触れる内容になりそうですが、他にも3回くらいびっくりすることがありました)

じつは以前、福島潟を絵にしたことがありました。



「渡りの夜から、冬のおわりへ」 という絵葉書のシリーズ。

新潟に移り住んで、はじめて見た雪国の冬の絵を、自分なりに絵葉書に残したものです。

秋のおわりの夜、白鳥がvの字になって夜空を飛んでくる「渡りの夜」をはじめて見たとき、とても感動しました。この感動は、一年目の、はじめての経験だからこそなのかもしれないと思って、それを絵日記みたいに描いた、絵葉書のシリーズでした。





その最後の絵が、「冬のおわり」。
冬がおわると、北へ帰って行く渡り鳥たちのいなくなった水辺の景色です。

この絵のモチーフになったのが福島潟でした。
(上の写真がまさにそう)

 自分のなかで渡り鳥がやってきた夜から、また北へ帰っていくまでの間が、「冬」なのかなぁと考えました。


福島潟に初めて行ったときのことがカトレア草舎のブログにのこっているのですが
冬の福島潟の景色はこんなかんじです。










2012年の1月の写真です。
写真でどれだけ伝わるか分かりませんが、冬は一面の雪、そして湖のうしろには五頭山がみえて、とにかく平らな雪景色は圧巻なんです。

 2011年の夏に新潟に移り住んで、はじめての冬で、このときはたくさん驚きました。



じつは、この絵葉書のシリーズのつづきも描こうとおもって、絵をいくつか描いていました。2013年の春に完成させようかとおもっていたのですが、そのころ子どもを授かって、ばたばたと慌ただしくいろいろな変化があって、いまに至りました。


不思議なことに、新潟に住んでみると、二年目以降の冬の記憶は薄くって、春の記憶は鮮明に残っています。
雪国では、長い冬がおわる春の芽吹きの季節が、とにかく輝いて感じられるからかもしれません。


初めて経験した冬の景色は、やっぱり初めてのときにしかない感動がありましたが、春の景色のうれしさ、喜びは、長く住めば住むほど、膨れていくような気がします。


一年目の春から夏、というものが過ぎ去って、それ以降の景色というのは、自分の置かれている状況によって大きく揺れていることもあって、なんだかまだうまく絵にできそうにない、とも思っています。



そんな、今年の春が始まる頃に、福島潟の展示のお話をいただいて、出かけて行ったときの景色。



4月のあたまごろですが、菜の花が一面咲いていました。
そして水辺の景色はというと、


からっぽです。
冬鳥もいなくなって、夏の季節の鳥やいきものが来る前の、静かな時期。





水の中は少しずつ芽吹きがはじまっていました。
土の上より水の中の春は遅いようです。


これからどんなふうに変わって行くのか、楽しみです。

今回の展示では、景色ではなく、福島潟のいきものを知ってもらうきっかけになるような絵や、ものを作る予定です。


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「福島潟のいきものスケッチ展」

場所_水の駅「ビュー福島潟」1Fビューショップ
会期_2015年5月26日(火)〜8月2日(日) 9時〜16時半 (月曜日休館)


福島潟には、どんな鳥や植物がいるのでしょうか?水辺には絶滅のおそれがある生き物たちも、たくさんいます。そんな生き物たちのスケッチの展示と、福島潟の葦をつかった和紙の版画絵葉書や、トートバッグなどの販売を行います。にぎやかな夏の潟の生き物たちを探しに、福島潟へお越し下さい。



◆夏休み自由研究 フィールドワーク&手作り版画体験ワークショップ

日程_7月29日(水)9時〜13時 参加費¥1500 定員15名

福島潟をレンジャーと散策し、生きものをスケッチしたあと、ストッキングと段ボールと
ボンドを使った、手作りシルクスクリーン印刷機でオリジナルエコバックをつくります。

お申し込み先 
NPO法人ねっとわーく福島潟 tel 025-387-0284
〒950-3328 新潟市北区前新田乙493 水の駅「ビュー福島潟」



オオヒシクイとオニバスの里 水の公園 福島潟は、220種以上の野鳥、450種以上の植物、そして地域の人々が集まる自然公園です。

2015年4月13日月曜日

「らくがきてぬぐい」ワークルームの様子



北書店さんでの展示「星を縫う」の期間中、開催させていただいたワークルーム「謄写版(ガリ版)で、落書き手ぬぐいをつくる」の様子をご報告させていただきます◎

内容としては、最初にロウ原紙とやすりをつかったガリ版の印刷体験をしてもらったあと、てぬぐいに使うイラストを描いて、それを印刷しました。


手ぬぐいへの印刷にはボールペン原紙とよばれる青いシートを使います。ロウ原紙に比べるとガリ切りしやすく、布への印刷に適しています。






シルクスクリーンの印刷枠を使っててぬぐいに刷ります。





フリーハンドで刷るのでざっくりとしたレイアウトになりますが、本当に簡単で楽しいです。




お子さんも、力をいれてローラーをごろごろ。



写真ではよくわかりませんが、すごくかわいいピンク色にしました。





一緒にご参加くださったお母さんは牡丹色。お子さんの絵と自分の絵を混ぜて作られてました。









印刷がおわった版も、なんかかわいいねーとみんなで見ていました。捨てるのがもったいないです。








こちらは紺色で。マスキングでしっかりインクがつかないようにしてあります。




うさぎの絵はわざと半分切れている絵をつかいました。どうなるかなーと心配していましたが、のぞいているみたいでかわいいです。





一緒にご参加いただいたお母さんは、黒に近い緑で。



ガリ版ってけっこう便利!とみんなびっくりされていました◎ほんとうに想像以上にシンプルなしくみで印刷できるので、もっとたくさんの方が知ったら、けっこう普及しそうです。使う人が増えるといいなぁ。

今回ご参加くださったみなさま、本当にありがとうございました!



次回は、6/20、21の御坊市(新潟県三条市)でワークショップ出店します。
isanaの染織家、中川なぎさちゃんと一緒に、ガリ版でべんがら染めをする予定です。
まさかガリ版で草木染めなどの染料が使えるの?!という内容なのですが、いろいろ実験していますので、また詳細はお知らせいたします◎

ドローイング展「星を縫う」終了しました。 




新潟市の北書店さんでのドローイング展「星を縫う」、無事終了しました。
会場まで足をお運びくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました◎



今回の展示は、これまでのカトレア草舎としての活動とは違ったドローイングの展示でした。「カトレア草舎」としてではない自分の絵を展示するのは大学卒業して以来、はじめてのこと。

雑貨や紅茶のパッケージとしての絵、というのがカトレア草舎という一つのテーマだったとしたら、それとは別のテーマで絵を描くことがずっとあったのですが、「星を縫う」もその一つです。

カトレア草舎で作りたいものは、自分のなかで焦がれる情景のようなものがあって、それに近づくように絵を描くというような感じ。
じつは理想にすこしでもとどかないことが毎回苦しくて、だからまた次を作りたい、と思うところがありました。


それに対して、「星を縫う」のドローイングは、描くことで、自分自身を整えるような感覚で、なんとなくはじめたこと。

出来上がる形自体に惹かれる所があって、描いては一人、わくわくしていました。これを他の人がみたらどう思うのかな、というのがずっとあったので、展示させていただく機会が持てたことに感謝しています。


正直、抽象的だし、地味だし、伝わりにくいものなのですが、、、


でも自分自身、ある種の絵を見てぴぴーんと感じることがあって、自分の絵ももしかしたらそんな風にだれかに感じてもらえたら、と。。。


会期中、わずかな時間でしたが会場にいて、いろいろな方とお話して、似たように感じている人が想像以上に多くてびっくりしました。普段の日常ではしない、自分の感覚とか、同じように人と話が通じたり。


描いているとき感じていた、日常ではうまく説明できない感覚のことを、 言葉以上に絵が伝えてくれることってあるんだなぁとうれしかったです。


もっと全然違う感覚の人の感想が多いかなと思ったのですが、おそらくそういう方とは話す機会がなかったのだとおもいます。



今回の展示会場では、ドローイングの他に、カトレア草舎として作っていたものも並んでいました。

雑貨をつくることと、また違った感覚の絵だからと、隔たりを感じて悩んでいた時期もありましたが、ここ数年、自分の中での隔たりは、すこしずつなくなっていったというのも、大きなことでした。



先日書いた記事のとおり、雑貨としてもものづくりも、いまこれまでとはすこし違った形へ向かっています。

でもどんなものを作るにしても、自分の中でごちゃごちゃ混乱したり、ということは、少なくなるんじゃないかなぁという安心感をもてるようになりました。


抽象的ないい方をしてしまって、まわりの方からみると何を言っているのか、何をしていくつもりなのかさっぱりわからないと思うので恐縮なのですが、それはこれから形にあらわして見ていただけるようにがんばります。

イメージを実際の形にあらわすのが一番大変なことです。

目でみて、触って、かんじてもらえるもので、伝えていけるようになりたいです。







2015年4月1日水曜日

アナログとデジタルのこと。




先日の記事
 「星を縫う」とその先のこと。



で 書いた、「絵を描くように、自分で印刷をすること」について、もうすこし思っていることがあって、上手く言いづらいことですが、でも書かせていただくことにしました。


それは、どうしていま「古い印刷機や版画を使うのか」ということです。







昔の印刷機を使うことは、大学を卒業する前から憧れていたことでした。ただその当時の自分には難しいという結論になったのです。


おそらく世間一般的にみんなそうだと思う理由ですが、でもそれでも、その結論を出してから10年近く経ったいま、考えが変わったのは、すごく大きな理由があって、そこは長い話にはなるのですが、きちんと言葉にしてみようとおもいました。

自分の話で恐縮ですが、よかったら読んで下さい。



私が大学を卒業したのが2006年だったのですが、芸大ではデザイン学科は当然ながら、油絵や日本画を学ぶ人もmacでillustratorやphotoshopくらいは使えないとまずい、というのが常識のようになってきていた頃でした。メディアアートが勢いを増し始めて、これからはどんなものごとも、デジタルを媒介してどうにかしていくんだぞ、という感じがありました。

 でもそんな一方で、古い時代のもの、アナログな機器が音楽にしろ写真にしろ、印刷でも根強い人気はありました。そういうものはデジタル化のあとも、頑なに続けている人、愛好家のような人に支えられていました。

(そしてあとで書きますが、そういうアナログなものをキッチュなものとして楽しむ風潮が流行りだしたのもこの頃だったとおもいます。)


印刷でいうと、この頃は、家庭ではワープロは消えてパソコンとプリンターのセットが一般的になりました。 印刷業者ではDTPのデジタル化は完全に浸透して、活版印刷からオフセット印刷にすっかり切り替わっていました。


学生時代、わたしが「昔の印刷機」を使っている人に出会ったのは、アルバイトしていた本屋さんでのこと。
活版印刷で詩集や銅版画の画集をつくっている作家さんと出会い、ビンテージのデザイン書や古書とはまた異なる、独特の印刷の世界があることを知りました。


また同じ頃、制作でお世話になっていた印刷会社さんに行って、印刷の相談をしていたとき、ぽつんと一台残っている活版印刷機に出会いました。
社長さんが「これなぁ、一台だけ捨てられへんで置いてあるんや。いまでも職人さんが名刺の印刷くらいには使ってるねんけどなぁ。その程度の印刷やったらこれはいまでも便利なんやで。」と話していたのを覚えています。

2000年ごろといえばちょうど、1980年代のDTPのデジタル化から、印刷所も世間も、人びとの感覚も、完全にデジタルに移行しおわった頃だったのかもしれません。
いま、活版印刷は人気が増してきて、活版印刷のできる印刷所が注目されていますが、そのころは、まだそんな気配はほんとうにごく一部のことでした。

高価な機材であるオフセット印刷に全部入れ替えるってすごく大変なことだそうで、それができない印刷会社はつぶれたのだそうです。
そしてオフセット印刷を導入した印刷所は、場所がないので泣く泣く思いでの詰まった活版印刷機を処分したのだそうです。


「これからは大量の印刷物は、日本じゃなくて海外で印刷させるのが主流になる」 とも、社長さんは言っていました。そこの印刷会社でも、上海の印刷所と提携して印刷をはじめていました。ただ、現地の職人さんとの意思疎通や技術の問題があるとも言っていました。


そんな社長さんの、活版印刷にまつわる話をするときのうれしそうな顔は、なんか不思議に思えました。昔は大変やったんやで〜とうれしそうに話す顔。



わたしは活字をひろうことに憧れて、たまたま大学の近くの骨董屋さんで和文のタイプライターを見つけて、その活字をばらばらにして、活版印刷のように作品に使うようになりました。


カトレア草舎としてのスタートになる一番最初の個展のときの作品の文字は、そうやって印字していました。

また学生時代、卒業後も就職せずに自分で絵を描いて、ものづくりをしていくのにプリントゴッコを使おうとやっていたときもありましたが、その矢先に製造中止が発表され、しみじみと、もうこれからはmacと共に生きて行く時代なんだなと、実感しました。


そこで古いもの、アナログな手法はデジタルで保存、もしくは再現複製すればいい、という答えを出して、カトレア草舎のコンセプトを決めたのでした。


まさにそのころは、アナログ的な質感は全部デジタルで再現する、といった風潮が流行っていたときでした。


たとえば写真でいうと、ピンぼけや変色した仕上がりということで、lomoなどのトイカメラが流行りました。でもいつのまにかデジカメにそういう機能のフィルタが付き、いま、そういった効果をねらってわざわざフィルムで撮影する人はめったにいなくなりました。


そういう「アナログらしさ」を求めてなにかしらのアナログ機器が流行り、でもそれはあっという間にデジタルで代替化し、アナログ機器はまた廃れて行く、というのがここずっと、あるような気がします。

わたしもそういう流れのなかで右往左往してきました。




ズレとかカスレとかピンぼけとか、チープさ、キッチュさはデジタル加工でそれっぽくできてしまうし、チープでキッチュなものを求めるということは、やっぱりコストがかからないものを求めてしまう人の心理があって、結局デジタルに負けてしまう。





でもアナログの本質って、当たり前ですが、ズレとかカスレとか、そういうチープさ、キッチュさではないんですよね。アナログとは、デジタルなもの以上に、人間の手作業を常に必要としていて、そのことによって表現できる幅が、デジタル機器とは違う、ということが、本来のアナログ機器のよさのはず。それこそがデジタルには真似出来ない、アナログの本質なのかなぁと。


別にデジタルが悪い訳ではなく、デジタルに頼ってきた自分だからこそ、でもやっぱりデジタルでは100%できないことの本質に気がつきました。


わたしの勘違いかもしれないけど、最近はデジタルとアナログがまた違った形でつながろうとしているような気もします。版画や昔の印刷機が、わたしのような若い世代に人気があるのもその形の流れだとおもいます。この流れに自分も乗ってやろうとおもっています。
ただ、アナログ機器の本質的な利点をうまくつかわないと、結局デジタルに負けてしまう。逆もそうだと思います。




そこはあくまで、道具をつかう人間の、目的意識と考え方が、アナログ機器の今後を左右するのではないでしょうか。。。


あと、そういったアナログ機器を後世に残すためには、誰かが使い続ける必要があります。たいした作り手ではない自分ですが、せめて使うという形で支えていきたいと考えています。だから、アナログ印刷機のことを、使って、人に伝えるのも大切なことなんだと気がつきました。
そのことを人に伝えるために、体験してもらうワークショップも必要だと考えています。

なんだか難しいことのように思えるけど、昔はみんなが当たり前に使っていたものだから、別に小難しいものではないんですよね。

でもそこには、いろいろな現代の機器につながる物事の起源がいっぱいあって、それを知れるのもすごく大きなことです。









まだまだ自分自身が勉強中の身ではありますが、そういった機会をこれからも考えていますので、もしご興味のある方、いらしてください。



なんだか長ーい話になってしまい、すみませんでした。。。