2015年4月1日水曜日

アナログとデジタルのこと。




先日の記事
 「星を縫う」とその先のこと。



で 書いた、「絵を描くように、自分で印刷をすること」について、もうすこし思っていることがあって、上手く言いづらいことですが、でも書かせていただくことにしました。


それは、どうしていま「古い印刷機や版画を使うのか」ということです。







昔の印刷機を使うことは、大学を卒業する前から憧れていたことでした。ただその当時の自分には難しいという結論になったのです。


おそらく世間一般的にみんなそうだと思う理由ですが、でもそれでも、その結論を出してから10年近く経ったいま、考えが変わったのは、すごく大きな理由があって、そこは長い話にはなるのですが、きちんと言葉にしてみようとおもいました。

自分の話で恐縮ですが、よかったら読んで下さい。



私が大学を卒業したのが2006年だったのですが、芸大ではデザイン学科は当然ながら、油絵や日本画を学ぶ人もmacでillustratorやphotoshopくらいは使えないとまずい、というのが常識のようになってきていた頃でした。メディアアートが勢いを増し始めて、これからはどんなものごとも、デジタルを媒介してどうにかしていくんだぞ、という感じがありました。

 でもそんな一方で、古い時代のもの、アナログな機器が音楽にしろ写真にしろ、印刷でも根強い人気はありました。そういうものはデジタル化のあとも、頑なに続けている人、愛好家のような人に支えられていました。

(そしてあとで書きますが、そういうアナログなものをキッチュなものとして楽しむ風潮が流行りだしたのもこの頃だったとおもいます。)


印刷でいうと、この頃は、家庭ではワープロは消えてパソコンとプリンターのセットが一般的になりました。 印刷業者ではDTPのデジタル化は完全に浸透して、活版印刷からオフセット印刷にすっかり切り替わっていました。


学生時代、わたしが「昔の印刷機」を使っている人に出会ったのは、アルバイトしていた本屋さんでのこと。
活版印刷で詩集や銅版画の画集をつくっている作家さんと出会い、ビンテージのデザイン書や古書とはまた異なる、独特の印刷の世界があることを知りました。


また同じ頃、制作でお世話になっていた印刷会社さんに行って、印刷の相談をしていたとき、ぽつんと一台残っている活版印刷機に出会いました。
社長さんが「これなぁ、一台だけ捨てられへんで置いてあるんや。いまでも職人さんが名刺の印刷くらいには使ってるねんけどなぁ。その程度の印刷やったらこれはいまでも便利なんやで。」と話していたのを覚えています。

2000年ごろといえばちょうど、1980年代のDTPのデジタル化から、印刷所も世間も、人びとの感覚も、完全にデジタルに移行しおわった頃だったのかもしれません。
いま、活版印刷は人気が増してきて、活版印刷のできる印刷所が注目されていますが、そのころは、まだそんな気配はほんとうにごく一部のことでした。

高価な機材であるオフセット印刷に全部入れ替えるってすごく大変なことだそうで、それができない印刷会社はつぶれたのだそうです。
そしてオフセット印刷を導入した印刷所は、場所がないので泣く泣く思いでの詰まった活版印刷機を処分したのだそうです。


「これからは大量の印刷物は、日本じゃなくて海外で印刷させるのが主流になる」 とも、社長さんは言っていました。そこの印刷会社でも、上海の印刷所と提携して印刷をはじめていました。ただ、現地の職人さんとの意思疎通や技術の問題があるとも言っていました。


そんな社長さんの、活版印刷にまつわる話をするときのうれしそうな顔は、なんか不思議に思えました。昔は大変やったんやで〜とうれしそうに話す顔。



わたしは活字をひろうことに憧れて、たまたま大学の近くの骨董屋さんで和文のタイプライターを見つけて、その活字をばらばらにして、活版印刷のように作品に使うようになりました。


カトレア草舎としてのスタートになる一番最初の個展のときの作品の文字は、そうやって印字していました。

また学生時代、卒業後も就職せずに自分で絵を描いて、ものづくりをしていくのにプリントゴッコを使おうとやっていたときもありましたが、その矢先に製造中止が発表され、しみじみと、もうこれからはmacと共に生きて行く時代なんだなと、実感しました。


そこで古いもの、アナログな手法はデジタルで保存、もしくは再現複製すればいい、という答えを出して、カトレア草舎のコンセプトを決めたのでした。


まさにそのころは、アナログ的な質感は全部デジタルで再現する、といった風潮が流行っていたときでした。


たとえば写真でいうと、ピンぼけや変色した仕上がりということで、lomoなどのトイカメラが流行りました。でもいつのまにかデジカメにそういう機能のフィルタが付き、いま、そういった効果をねらってわざわざフィルムで撮影する人はめったにいなくなりました。


そういう「アナログらしさ」を求めてなにかしらのアナログ機器が流行り、でもそれはあっという間にデジタルで代替化し、アナログ機器はまた廃れて行く、というのがここずっと、あるような気がします。

わたしもそういう流れのなかで右往左往してきました。




ズレとかカスレとかピンぼけとか、チープさ、キッチュさはデジタル加工でそれっぽくできてしまうし、チープでキッチュなものを求めるということは、やっぱりコストがかからないものを求めてしまう人の心理があって、結局デジタルに負けてしまう。





でもアナログの本質って、当たり前ですが、ズレとかカスレとか、そういうチープさ、キッチュさではないんですよね。アナログとは、デジタルなもの以上に、人間の手作業を常に必要としていて、そのことによって表現できる幅が、デジタル機器とは違う、ということが、本来のアナログ機器のよさのはず。それこそがデジタルには真似出来ない、アナログの本質なのかなぁと。


別にデジタルが悪い訳ではなく、デジタルに頼ってきた自分だからこそ、でもやっぱりデジタルでは100%できないことの本質に気がつきました。


わたしの勘違いかもしれないけど、最近はデジタルとアナログがまた違った形でつながろうとしているような気もします。版画や昔の印刷機が、わたしのような若い世代に人気があるのもその形の流れだとおもいます。この流れに自分も乗ってやろうとおもっています。
ただ、アナログ機器の本質的な利点をうまくつかわないと、結局デジタルに負けてしまう。逆もそうだと思います。




そこはあくまで、道具をつかう人間の、目的意識と考え方が、アナログ機器の今後を左右するのではないでしょうか。。。


あと、そういったアナログ機器を後世に残すためには、誰かが使い続ける必要があります。たいした作り手ではない自分ですが、せめて使うという形で支えていきたいと考えています。だから、アナログ印刷機のことを、使って、人に伝えるのも大切なことなんだと気がつきました。
そのことを人に伝えるために、体験してもらうワークショップも必要だと考えています。

なんだか難しいことのように思えるけど、昔はみんなが当たり前に使っていたものだから、別に小難しいものではないんですよね。

でもそこには、いろいろな現代の機器につながる物事の起源がいっぱいあって、それを知れるのもすごく大きなことです。









まだまだ自分自身が勉強中の身ではありますが、そういった機会をこれからも考えていますので、もしご興味のある方、いらしてください。



なんだか長ーい話になってしまい、すみませんでした。。。